2005年05月18日

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」

 ブログ界ではどうも評判の悪い(ように見える)、立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」で、最近3回に渡り改憲問題についてが語られている(5/9、5/12、5/17の回)。読んでみると、立花氏は「護憲・自衛戦争を認める」という立場のようだ。「何となく整理してみる」の(4)の立場である。

 かなり長い文章であるが、彼の主張を思い切って端的にまとめてみよう。
  • 第9条により、自衛以外の戦争をしないで済むということは国益である
  • 第9条を変えると、自衛以外の戦争をせざるを得なくなるので損するぞ
  • 第9条を変えなくても自衛戦争はできる(解釈改憲OK)ので国防もOK
 上記に対する疑問としては、
  • 第9条をそのままにしておけば本当に自衛戦争以外の戦争をしないで済むのであろうか
  • 自衛隊の存在を明記するだけなら自衛戦争以外の戦争はできないままなのではないか
  • 解釈改憲こそ国際社会における日本の信用を貶めることにならないのか
 などがぱっと思い浮かぶ。が、まだ自分の中で整理できていない。精読して、(4)の立場についてもう一度よく考えてみようと思う。
posted by しろ at 19:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
解釈改憲って。。。
そんなことした日にゃ、何でもありになってしまいませんか?
なぜ、自衛のために戦争が必要なのか?北朝鮮があるからでしょうか?(この辺で現実的でないとよく言われますが)

日本が銃社会でない。アメリカは銃社会である。
とした場合、アメリカのように個人が身を守るためには銃が必要だということなのでしょうか?今の日本のように、身を守るためには近所づきあいを大切にし、銃など不要としたほうがよいのではないでしょうか?どちらの国に住みたいかと聞かれれば、私は日本と答えます。
なら、国際情勢で隣の国が危ない人だから銃を持つ、という考え方にならないのではないでしょうか?

長文失礼いたしました。
Posted by さじった at 2005年05月19日 13:33
>さじったさん

コメントありがとうございます。

解釈改憲については、私もどうにも釈然としないのですが、実際には、憲法というものは複数の解釈を許すものであるというのが通常の見方のようです。
立花氏は、「私自身は解釈改憲を是とする立場である。それは政治的にそういう立場に立つというより、英米法的立場(私はそのほうが正しいと思っている)に立てば、それが当たり前だと思うからだ。法は常に解釈と不可分なのである。」とはっきり書いてますね。このへんを理解するには、多少なりとも法学(憲法学)とやらを齧らないといけないのでしょう。素人的には難儀なことです。
ただ、自衛隊を持つか否かといった重要な問題を、運用レベルなので憲法の条文で明確に規定するような話ではないと一刀両断してしまうのは、行き過ぎのような気がします。

アメリカ銃社会のたとえですが、自衛隊を認める方の意見を読んでみると、自分が銃を持つ持たないではなく、自衛隊を「警察」に例えることが多いようです。
日本で我々が銃を持たずに生活できているのは、銃を持っている隣人を取り締まる国家の暴力=警察が存在するからであり、(米国では隣人が銃を持っているだけでは警察は何もしてくれません)自衛隊を要らないと主張するのであれば、なぜ警察も要らないと言わないのか、と言う文脈がよく出てきます。
さらには、自衛隊を抑止力と捉えて、夜寝るときや出かけるときに「戸締り」をするのと一緒だ、という話もよく目にします。もし完全な戦争放棄を周辺国に訴えることで平和が訪れると主張するなら、「うちは戸締りしてませんし、強盗が入っても何にも抵抗しませんよー」と近所中に触れ回ることで強盗を防げるかどうかやってみろ、ということです。
素人目にも乱暴な例えだと映りますが、さりとて無視するわけにもいかない意見だと思います。今度記事に書いてみたいと思います。

長文大歓迎です。これからも、どうかお気軽にコメントをいただければと思います。
Posted by しろ at 2005年05月21日 01:00
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