2005年05月26日

戦力保持と不保持のどちらが戦争抑止力として有効か

 戦力保持と不保持のどちらが戦争抑止力として有効か、という問いに対して答えを考えたいのだが、そもそもどうやって考えたらよいのかさえよく分からない。

 いろいろなブログを回って調べてみたが、相対する意見が同じ事象から導き出されていることがあって混乱する。ここで、同じ事象というのは、「第二次大戦終了から現在まで、日本は戦争に巻き込まれなかった」ということだ。

 この事象に対して、「日本は平和憲法を持っており、戦争放棄を謳っているからこそ、戦争に巻き込まれなかったのだ」と主張をする人がいる。したがって自衛隊は無用の長物であり、自衛隊の海外派遣などは戦争への足がかりとなりえるため放棄した方がいい、という風な具合である。

 一方、「米国の庇護下にあったから戦争に巻き込まれなかったのだ」とする主張もある。仕返しをする戦力を(米国が)持っているからこそ相手に攻められなかったというのだ。だが、これでは日本は軍事的に米国の属国のようなものであり、今後ちゃんとした独立国となるためには米国の庇護から抜け出して自前の自衛戦力でやっていくべきだ、という具合だ。(現自衛隊と現憲法でそれができないのはなぜなのか、詳しくは分からない。)

 まあ有体に言って簡単にまとめすぎだろうとは思う。もっと言うと、どっちが真実に近いのか考えること自体、意味がないかもしれない。それよりもっと現在及び将来の日本を取り巻く環境を分析し、個別具体的な検討を重ねた上で、判断すべきなのだろう。

 だがそんなことを素人が独自で行うのは無理というものだろう。それに、世の中の人が知っている全ての情報を受け入れ、咀嚼することなど到底不可能だ。ある程度のところで、自分の主張を決めねばなるまい。どの程度の情報を得た時点で、どの程度の確信を持って自分の主張を決めるのか?それが問題だ。
posted by しろ at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月22日

とりあえず考えるべきこと

 前回の記事に関連して、現在、私の中でよく分かっていない点のうち、優先的に考えるべきことを書いておこう。
  • 戦争(自衛を含む)という手段を取ってまで守るべき国益はあるのか
  • 戦力保持と不保持のどちらが戦争抑止力として有効か
  • 自衛戦争とそうでない戦争の境は何なのか
 ほかにもありそうな気がするが、とりあえずこの3つだけでも十分に悩ましい。
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論点をいくつか

 「自衛隊の存在」を認めない立場からの主張として、レベルの違うものを二つ記しておこう。これら二つの主張は、自衛隊の存在を認めない(自衛隊は廃止すべき)という点では一致しているのだが、その理由・背景が異なる。

I. 【どんな戦争も認められないので自衛隊を廃止した方がよいという主張】
 どんなことがあろうと、「戦争」をすること自体がダメ、という主張である。自分や家族や友人が殺されようが、他の国で虐殺が起ころうが、あるいは自国民が自国領内で拉致されようが、とにかく「戦争」をすることを認めない、という主張である。この主張をする人は少ないと思う。
 「もし日本が攻撃されたらどうするの?」という問いに対しての答えは「潔く死ぬ」である。

II. 【自衛隊保持よりも自衛隊廃止の方が戦争に対する抑止力として有効であるという主張】
 戦争はできれば避けたい。そして、戦争を避ける手段として「自衛隊廃止」が最も有効であるという主張である。
 「もし日本が攻撃されたらどうするの?」という問いに対しての答えは、「攻撃されるはずが無い」である。ただ、100%完璧な抑止力とはならないので、いざとなったら潔く死ぬ方が反撃して相手を殺すよりマシ、と主張する場合は、「I」の主張と両立し得る。
 つまり、自衛隊廃止による戦争抑止力が100%有効であると考えるか否かで、「II」の主張の背景はさらに二つに分かれる。

*なお、自衛隊廃止は抑止力として100%有効でないと考えるものの自衛隊保持よりは有効であると考える人の中で、いざというときは反撃すべし、という人は、「もし日本が攻撃されたらどうするの?」という問いに対して答えられないので、結局抑止力としては比較的有効でないと考えながらも、自衛隊保持を主張することになる。(ただし、自衛隊は廃止するが日米安保は保持してアメリカに守ってもらう、という主張も考えられる。)

 以上を踏まえると、「戦争抑止力として有効なのはどんな手段か」ということを考える必要がありそうだ。下記のどちらが戦争抑止力として有効なのだろうか?要検討。
  • 全ての戦力を廃棄することで、相手を刺激しないこと
  • 自衛のための戦力を保持することで、相手に攻撃を思いとどまらせること
 なお、後者は、自衛隊だけでなく、日米安保条約および米国の核兵器装備も含む。自衛隊は廃止するが日米安保は保持してアメリカに守ってもらおう、という主張は後者に含まれる。

 ・・・どうも整理できたようで整理できていない気がする。考えるべきことは山積みである。
posted by しろ at 01:03| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月18日

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」

 ブログ界ではどうも評判の悪い(ように見える)、立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」で、最近3回に渡り改憲問題についてが語られている(5/9、5/12、5/17の回)。読んでみると、立花氏は「護憲・自衛戦争を認める」という立場のようだ。「何となく整理してみる」の(4)の立場である。

 かなり長い文章であるが、彼の主張を思い切って端的にまとめてみよう。
  • 第9条により、自衛以外の戦争をしないで済むということは国益である
  • 第9条を変えると、自衛以外の戦争をせざるを得なくなるので損するぞ
  • 第9条を変えなくても自衛戦争はできる(解釈改憲OK)ので国防もOK
 上記に対する疑問としては、
  • 第9条をそのままにしておけば本当に自衛戦争以外の戦争をしないで済むのであろうか
  • 自衛隊の存在を明記するだけなら自衛戦争以外の戦争はできないままなのではないか
  • 解釈改憲こそ国際社会における日本の信用を貶めることにならないのか
 などがぱっと思い浮かぶ。が、まだ自分の中で整理できていない。精読して、(4)の立場についてもう一度よく考えてみようと思う。
posted by しろ at 19:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイトルを変更した

 ブログタイトルを「素人改憲論議」に変更しました。(旧タイトル「素人が考える戦争と憲法改正」は、副題に格下げしました。)
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2005年05月13日

戦争に対する考え方

 前回の記事のコメント欄で書いたことだが、現憲法をどう解釈するかという問題は、ひとまずおいておこう。

 それよりもまずは、戦争放棄や軍備に関するそれぞれの立場の人の言っていることを理解することが先だと個人的に思う。解釈問題についてだって、学術的な研究成果と見せかけて、実はその立場ありきの意見というものがあるような気もするし。(ただ、素人の立場から素直に読むと、「自衛戦争を含めた戦争放棄」と解釈できることは覚えておこう。)

 さて、以前の記事「何となく整理してみる」から考えてみると、戦争に対する考え方としては、以下の3つがあろうかと思う。

(A)自衛でない戦争も認める。
(B)自衛戦争のみ認める。
(C)自衛戦争を含む完全な戦争放棄。

 私としては今のところ、「自衛戦争」の定義がよくわかっていないので、(A)と(B)の違いをあまり明確に理解できない。ここを明確にできないと、ある人の主張を読んで、(A)の人だと思ったら(B)だったとか、逆に(B)だと思ったら(A)だったとか、そういう問題が出てきてしまうと思う。(あるいは(A)と(B)は実は同じ考え方なので分ける必要は無かった、とか。)なので、まず自衛戦争とは何なのかについて、理解したいと思う。

 また、(A)(B)と比較すると、(C)は分かりやすい。なので(C)ついては、その考え方の背景を理解しようと思う。まずは、さじったさんがコメント欄で示唆してくださった「現実的でない」という批判と、戦争放棄を謳うことで近隣諸国の信頼を得るという政策(?)について、素人なりに考えていこう。
posted by しろ at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月11日

言葉の問題

 前回、「ブログのタイトルを変えるべきか?」という記事を書いた。それは私にとっては正直どうでもよい単なる言葉の問題なのだが、実を言うと憲法の「解釈」というものにも、同じような感覚を持っていることに気がついた。

 無論、法には解釈の仕方がいろいろあるのだろう。rinkomatsuさんの「凛の徒然草。−表参道写真日記−」で、素人的な質問をして色々伺わせていただいたのだが、どんな法でも解釈によっていろいろとれる、とのことである。
 だがやっぱり素人考えでは、こんな大事な問題をいろいろ解釈できるまま放っておいていいのかという気がしてしまう。法学というのはさっぱりよくわからない。
 と思っていたら、私のこの問題に対する考えをわかりやすく述べられているブログを発見した。YOSHIさんの「日々の徒然」である。「GWは憲法三昧」という記事から引用させていただく。なお、YOSHIさんは法学生のようである。(ちなみに前述のrinkomatsuさんも法を学ばれているとのこと。)
条文を素直に読んでもらいたい。上の文章(*)のどこから自衛隊や集団的自衛権を捻り出せるというのか?戦争の殆どが自衛戦争の仮面をつけていた事を考えると、一切の戦争行為を禁じた条文だと考えたほうが素直ではないのか?
私は戦争をするなと言うつもりはない。戦争放棄を謳っていても、戦争の方が放棄してくれなければ平和を保持できないことに変りがないからだ。私が遺憾に思っているのは、第9条から自衛隊や集団的自衛権を捻り出す為に条文解釈の段階でごまかそうとするから、第9条の問題が国語の文法レベルにまで矮小化されていることだ。

第9条は改正した方がいい。もっと判りやすい文章にだ。

*上の文章というのは、9条の条文のことです。

 どうだろうか。判例・通説でも自衛戦争放棄が普通の解釈、素人が素直に読んでもその解釈、でも解釈のされ方でいろいろな議論が噴出している、ならば分かりやすく変えようよ、というのは誤謬無く聞こえるのだが・・・。
posted by しろ at 02:13| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月10日

ブログのタイトルを変えるべきか?

 前回の記事で、さじったさんという方にコメントを頂いた。その中身については追々記事に書いていこうと思うのだが、それとは別に、一つ気になったことがある。

 さじったさんは護憲派の方のようであるが、コメントで「憲法改正」という言葉を使わずに、あえて「憲法改定」を使われていたのである。

 「改正」には「正」の字が入っているので、変える事を正しいと考えない護憲派の方々にとっては気に障るのだろうと思う。また、さじったさんのサイトではないが、「改悪」という言葉を使っているサイトを、幾つか見かけた。(なお、改悪の対義語は改正ではなく「改善」だそうだ。勉強になった。)

 改正とは、「法律や制度などをあらためただすこと」(goo辞書より)。ただす、の文言が無ければいいのに、と思ったが、「改める」という言葉自体に「正しくする」という意味があるので、ややこしい。これでは「改」の字すら使えなくなってしまう。

 無論私としては字面のみで判断する言葉狩りなどは正直どうでもよいのだが、タイトルを見て「お、ここは改憲派のブログか」などと思われてしまうのは心外だ。中立的な立場でモノを書くなら「憲法変更」とかにすべきなのか。だが、その言葉は明らかに一般的でないし。「改正」と「改悪」を併記しようか? うーむ。

 ちょっと考えてみます。
posted by しろ at 01:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月07日

何となく整理してみる

 単純に考えると、改憲論議におけるそれぞれの人々の立場は、次の5パターンに集約できるような気がする。

改憲派:
(1)憲法を変える。自衛でない戦争も認める。
(2)憲法を変える。自衛戦争のみ認めることを明記する。
(3)憲法を変える。自衛戦争を含む完全な戦争放棄を明記する。

護憲派:
(4)憲法は今のまま。自衛戦争のみ認めると解釈する。
(5)憲法は今のまま。自衛戦争を含む完全な戦争放棄と解釈する。

 asahi.comの世論調査結果、それから私がちょっと調べて回った感じでは、多数派は(2)と(4)なのではないか。(2)と(4)は戦争については同じことを言ってるわけで、問題は解釈改憲で済ませるか、本当に改憲するかという事か。

 ただ、北海道新聞の世論調査結果では、(3)と(5)の割合がかなり多かったのも事実。完全な戦争放棄は、素人にもとても分かりやすい意見だ。が、それをブログで主張している人は、まだ見つけられない。
posted by しろ at 19:59| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トラックバックを辿って

 まだ2件しか投稿していないというのに、昨日の記事にトラックバックがされた。トラックバックした方のブログを読み、こういうやり方はスパムに近いものだと思った。が、私としては大歓迎である。
 私は、色々な立場の人々の色々な違憲を・・・じゃない、意見を聞いてみたいのだ。かなり大量のブログにトラックバックをしたと思われるその方のブログから、コメントやらトラックバックやらを辿り、いくつかのブログを読んでみた。無論、トラックバックした方のブログも少し読んだ。

 記事を読んで、素人ながら疑問に思い、コメントに質問を残した記事に、この記事中からリンクをしておく。(トラックバックはしないでおく。)なお、私の質問は、まあ有体に言って程度の低い素人の質問であり、無視されたとしても仕方が無いものである。
 それと、2つの質問を見ると私が憲法改正についてある一方向の意見を持っているように見えるが、反対意見を持つ方々に対しても疑問があることは、付け加えておく。それについては今度記事に書こう。

<リンク>
憲法改正について異議を唱える。:凛の徒然草。−表参道写真日記−
安倍発言、これではデモが、起きるはず(字余り):情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士
posted by しろ at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月06日

完全な戦争放棄 - 九条と自衛隊

改憲容認が77% 本紙世論調査、戦争全面放棄、自衛戦争容認に二分北海道新聞
憲法「自衛隊規定を」7割、9条改正反対51%asahi.com

 憲法改正についての世論調査が行われている。北海道新聞asahi.comのWEB記事を読んでみた。
 改憲についての是非はともかく、私が興味を持つのは「完全な戦争放棄」を主張する人がどれぐらいいるのか、である。なぜなら、そこを始めにハッキリさせておかないと、何のための憲法改正だかわからなくなってしまうと思うからだ。

 さて、北海道新聞によれば、77.0%の改憲容認派の中で、「自衛戦争も含めてすべての戦争放棄を明記」と答える人の割合は39.0%。また、護憲派は21.2%。護憲派のうちどの程度が「完全な戦争放棄」に賛成しているのかは記事からは読み取れないが、仮に改憲容認派と同じ39.0%が賛成しているとするならば、全体の4割近くが「完全な戦争放棄」に賛成していることになる。おそらくこの4割の人々は、自衛隊の廃止にも賛成するはずだ。

 一方でasahi.comの記事では、「自衛隊は違憲なので将来は廃止する」という人の割合はわずか7%である。自衛隊は違憲なので廃止、ということは、完全な戦争放棄を主張していると考えてよいだろう。北海道新聞では4割近かったにもかかわらず、7%という割合はいかにも少ない。
 ところが、九条を「変えない方がよい」と答えた人は全体の過半数を占める。また、「自衛隊の存在を明記」という人でさえ、九条改正の賛否は双方4割台で拮抗しているとの事。
 九条と自衛隊が矛盾しているのではないか、というのが以前からずっと問われてきた憲法改正の肝の一つだと私は理解しているのだが、少なくともasahi.comの世論調査結果からは、「矛盾していない」と考える人が多いということか。このことは「憲法世論調査解説 現実容認し、理念は尊重」という記事にも書いてある。


 以下、北海道新聞 より。
改憲容認が77% 本紙世論調査、戦争全面放棄、自衛戦争容認に二分
2005/04/30 07:19

 北海道新聞社は五月三日の憲法記念日を前に、憲法改正に関する全道世論調査を北海道新聞情報研究所に委託して実施した。「全面的に改めるべきだ」「一部を改めるべきだ」を合わせた「改憲容認派」は77・0%に上った。ただ憲法論議の最大の焦点である九条については、改憲容認派の中でも「すべての戦争を放棄」「自衛戦争は容認」などと意見が大きく分かれ、平和主義を強化する目的での改憲論が相当数あることを裏付けた。

 調査で「全面的」改憲を支持する人は14・6%、「一部」改憲の支持者は62・4%。改憲の必要がないとする「護憲派」は21・2%だった。

 しかし、改憲容認派に九条一項の「戦争放棄」についての考えを聞いたところ、「自衛戦争も含めてすべての戦争放棄を明記」(39・0%)が最多で、「自衛のための戦争であれば良いことを明記」(37・9%)とほぼ拮抗(きっこう)。戦争放棄をより明確にするために九条改正を求める「護憲的」改憲派が相当数いることを示した。「(九条一項は)変更しなくても良い」は10・4%。一方、今回調査で新設の質問である「戦争放棄の条文は全面削除」は7・5%だった。

 また「戦力の不保持」を定めた九条二項の自衛隊の位置付けについては、「陸海空軍などの戦力保持を明記すべきだ」(48・6%)と、「変更しなくて良い」(45・7%)とに意見が割れた。

 憲法解釈で禁じられている「集団的自衛権」については「現行解釈は妥当」(21・2%)、「憲法を改め、行使できないようにする」(23・2%)を合わせた「行使否認派」は44・4%で、「行使容認派」の28・4%を上回った。

 改憲のための国民投票法の制定については「賛成」(59・8%)が「反対」(11・4%)を大きく引き離した。


 以下、asahi.comより。
憲法「自衛隊規定を」7割、9条改正反対51%
2005年05月03日01時36分

 3日の憲法記念日を前に、朝日新聞社は日本国憲法について全国世論調査を実施した。憲法全体をみて「改正する必要がある」と答えた人は56%で、04年の前回調査の53%より増えた。「改正する必要はない」は33%(前回35%)だった。自衛隊を巡っては、「存在を明記」と「普通の軍隊とする」を合わせ、憲法改正による位置づけを求める意見が7割に達した。ただ、9条をどうするかについて聞くと「変えない方がよい」(51%)が半数を超える。自衛隊と憲法の整合性を求める半面、平和主義は堅持したい意識がうかがえる。一方、先月、最終報告書をまとめた国会の憲法調査会については「知らない」が71%にのぼった。

 調査は4月24、25の両日、全国の有権者3千人を対象に面接方式で実施した。

 憲法改正について同じ質問を重ねてきた97年以降をみると、「必要がある」は46%(97年)→47%(01年)→53%(04年)→56%(今回)と増えている。これに対し、「必要はない」は39%→36%→35%→33%と減少の一途だ。

 この間、国会では改憲に肯定的な自民党と民主党による二大政党化が進んだ。自衛隊の海外活動の範囲も広がった。こうした政治状況の変化も、改憲意識が広がる背景にあると見られる。

 憲法と自衛隊の関係では「自衛隊は今のままでよいが、憲法を改正して存在を明記」が58%で最多。「普通の軍隊とするため改正すべきだ」の12%を合わせると、7割が自衛隊を憲法に位置づけるよう求めていることになる。「政府の解釈や運用で対応してきたので改正の必要はない」は16%、「自衛隊は違憲なので将来は廃止する」は7%だった。

 冷戦さなかの80年調査では、自衛隊を憲法で認めるため憲法を改正するかどうかについて、「賛成」(44%)と「反対」(41%)が拮抗(きっこう)していた。冷戦の終結や9・11テロを経た今回の調査では、国際情勢が変化するなかで活動の幅を広げた自衛隊の実態と、9条で「戦力不保持」を掲げる憲法との乖離(かいり)を解消したいという気分が一層、強まっているようだ。

 ところが、9条自体の改正の賛否を問うと、「変える方がよい」は36%で、「変えない方がよい」が過半数を占める。「自衛隊の存在を明記」という人でさえ賛否が4割台で並ぶ。

 一方、憲法改正の問題に「関心がある」と答えた人は、「大いに」(14%)、「ある程度」(51%)を合わせて65%。愛国心が「大いに」(24%)、「ある程度」(56%)あると答えた8割の人では、関心は71%にのぼる。

 ただ、衆参の憲法調査会のことを「知っている」と答えた人は全体で27%止まり。報告書の内容まで知っている人は3%しかいない。憲法改正の問題に関心のある人でも、調査会を「知っている」人は35%だ。

 憲法改正を「差し迫った問題」とみる人は30%。いま、政治家に取り組んでほしいテーマで憲法改正を挙げる人は7%にとどまる。憲法改正への関心はそれなりにあり、改憲も容認はするが、議論が盛り上がる「永田町」ほど改憲に熱意をもっているわけではない。そんな国民の姿が浮かぶ。
posted by しろ at 13:34| Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月02日

私の一票はどちらに入れるべきか?

 中国での反日デモも落ち着いてきたと思ったら、北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射したとかしないとか。
 そして今、さまざまなメディアで日本国憲法の改正論議が盛んである。そのように思える。あまり興味のない私ですらそのように思えるのだからこれはもう実際に盛んであるのだと思える。

 大昔、学校で習った記憶がある。憲法改正には国民投票で過半数の賛成が必要である、と。つまり、実際の憲法改正に際しては、私にも投票する権利があるわけだ。
 ところが、憲法を改正すべきなのかすべきでないのか、現在の私には判断がつきかねる。何しろ私は憲法や自衛隊や世界情勢や国内情勢に対してほとんど何の知識も無く、よって何を元に判断してよいのやら、見当もつかないのである。

 それでも、私が持っている一票は、この問題に対して日々議論を重ね熟考し判断を下した人のそれと等しい重さを持つのである。本当にそれは公平なのだろうかと疑問に感じる部分も無いではないが、それが民主主義というものなのだと素人ながらに思う。

 そこで私は考えた。このまま改正論議が進み、国民投票実施という事態に相成った際、何も分からないまま投票する、もしくは棄権するという行為は避けたい。民主主義国家に生きる人間として避けたい。でないと、この問題に対しマジメに取り組んでいる人々に申し訳が立たない。

 そのためには、これからこの問題について学び、知識を得、考え、そして自分の意見を確立せねばなるまい。
 ただ、結局私は素人であるし、専門家にしか分からないような難しい話は分からないままであるに違いない。それでも、自分自身が納得できればそれでよい、と今は思う。どんなにがんばっても、所詮は一票は一票なのだから。その一票にのみ、自分なりの誠意を以ってあたろう。

 なお、9条以外の部分の改正論議までは当分手が回らないであろうことをあらかじめ断っておく。

<参考>
憲法改正論議 - Wikipedia
posted by しろ at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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